小紅書(RED)とは?中国SNS実践報告🇨🇳

中国のインスタ?YouTube?Amazonみたいな存在?全面解説します!

小紅書(ショウホンシゥ)は2013年にリリースされ、動画と写真を通して、ライフスタイルや趣味を共有し、共感を持つユーザー同士が交流を深めるアプリです。関心を持つ分野に特化した仕組みになっており、各分野のスペシャリストや芸能人も多く利用しています。パソコン版がありません。携帯のアプリのみ利用できます。

投稿内容の解説

クオリティが高すぎる!動画編

ニコニコ動画の中国版(bilibili)も良い映像がたくさんありますが、bilibiliは1分間以上の動画をアップするように薦められています。小紅書の場合、5分以内の動画しか載せられないため、内容が凝縮された動画が多く、無駄のないように工夫されています。(ある程度フォロワーを持つと長い動画もアップできるようになります)。また、携帯でしか見れないことで2分を超えると飽きられやすい傾向があります。

TikTokみたいにすぐ流されることなく、情報の共有や有意義な情報を提供しているユーザーが多いため、調べたいものがある時に真っ先に小紅書で検索する若者が多いです。


写真+説明の文章編

動画の次に人気あるのは、写真+説明の投稿です。写真は上の方に一枚、もしくは数枚を載せて、タイトル、説明文とキーワードを文字を書く部分に加えます。写真をいくつか選んで、アプリ内で動画に編集することも可能です。この場合は、インスタグラムとほぼ変わらないでしょう。動画の自動作成もとても簡単なので、このアップの方法は最も多く使われています。

オンラインショップで買い物

この部分はまだノータッチですが、アプリの中でオンラインストアが設けられており、Amazonみたいに簡単に注文できるようになっています。人気インフルエンサーが企業と提携して商品を紹介することもたくさんあります。商品ばかり紹介していると、ユーザーからアンチを受けることもありますが、大体の場合は友好的なコメントがほとんどです。次回中国に帰る時に、実際に注文してみようと思います。

結論:イメージ的にYouTube+Instagram+Amazon 的な存在でした(笑)

ユーザーの特徴

ユーザー数
1ヶ月内のアクティブユーザーは1億人以上です。最新のユーザー数は公表されていないが、2019年までオフィシャルで公表されたのは2億以上となっています。現在は3億以上のユーザー数があると思われます。

ユーザーの年齢層と男女比率
ユーザーの72%は1990年以降生まれ、その中の50%は1995年以降生まれの年齢構成になっています。男女の比率は3:7程度で、女性のユーザーが大きな割合を占めています。一線都市と二線都市のユーザー数が多い。(2020年末の時点で)
周りを見ても親世代(50代〜)以上の人、小紅書の存在は知っているが実際に使っている人が少なく、高校生や大学生の利用率が高いと感じました。

註:中国では都市の経済状況によって、都市の経済活動や政治活動の重要度で5つのレベルに分けられています。最も影響力のある都市から一線→新一線→二線→三線という順番で分類されています。)
・一線都市:北京、天津、上海、广州、深圳
・新一線都市:重慶、西安、南京、武漢、成都、瀋陽、杭州、大連、青島など
・二線都市:昆明、厦门、合肥、佛山など

私のフォロワーは女性79%、男性21%、最も多い年齢層は25歳〜35歳です。都市に分散すると以下の順番になります。(2021年6月11日現時点)
1) 一線都市45%
2) 中国以外22%
3) 二線都市10%
4) 新一線都市9%
始めてまだ1ヶ月しか経ってないので、出身地の上海と現在地の日本からのフォロワーがメインになっているかもしれません。今後はどのように変化するか興味深いところです。

開設して思ったこと

動画や写真が溢れるネット世界、オリジナリティがますます重視されるようになりました。人気ユーザーの投稿を見ると、内容が本当によく考えられていて、知識や役に立つ情報ばかりです。

中国語がメインというハードルもあり、中国語ができないとなかなか使いにくいアプリではありますが、ユーザー数やクオリティの高さを考えると挑戦してみても良いSNSの一つです。中国の進出を考えている方はぜひ使ってみてください。

今のところ、見かけた日本人の人気ユーザーは、日本語のレッスン、日本人の恋愛観や対人関係の特徴について投稿している方が多いです。また、在日の人気中国人インフルエンサーは、留学、不動産事情、グルメ、旅行、化粧品のテーマが注目されやすいです。

私は音楽、ピアノの練習方法、グルメに関する内容を投稿しています。投稿内容によって、反応が全く違うので、次回の記事で詳しく説明していきたいと思います。ちなみに、今ハマっているのは宅トレの動画です。毎日ボディメイクの動画を見ながら、家でトレーニングしています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考サイト:https://www.xiaohongshu.com

名曲紹介 『黄河 ピアノ協奏曲』

「黄河ピアノ協奏曲の編曲に携わった人々は、もうあの頃のように集まることはない。黄河だけは、中国で愛され、響き渡り続けていくでしょう。」

どこかで寂しげに語っていたのは、黄河ピアノ協奏曲の編曲家集団の一員儲望華。1993年、オーストラリアの中国誌「華声新聞」のインタービューを受け、黄河ピアノ協奏曲の編曲を振り返った。

20世紀中国を代表する音楽「黄河」。

たった二文字、中国の人々にとって様々な意味合いを持っている。「黄河」(Yellow River)は中国で2番目に長い河、高原の黄色い土が激流とともに下流の方に流れ、川全体が黄色いに濁っていることから黄河と名つけられました。

古代中華文明「別名:黄河文明」発祥の地であり、黄河の中下流域を中心に発展していた。文化の発展や主要地域が黄河の周りに位置するため、争い事も自然に生まれる。中国の近代史においても、黄河は歴史上数多くの戦場となっていた。「黄河大合唱」(後に「黄河ピアノ協奏曲」に編曲された)も黄河の戦場から生まれた作品である。

『黄河大合唱』の由来は、1937年激しくなった日中戦争に遡る。1938年、武漢作戦で中国軍が敗散、戦争の悲惨さを目の当たりにした詩人光未然氏は、演劇隊を率いて呂梁山の基地へ移動することになる。途中、黄河渡口で船に乗って渡ることになったが、船夫が激流と戦う姿が戦士の姿に重なり、思わず『黄河吟』の詩を創作した。

その後、延安で休養中の光氏に、パリの留学から帰国した音楽家冼星海が見舞いに来る。病室で『黄河吟』の朗読と創作背景を聞いた冼星海は、6日間で8楽章にわたる大編成合唱曲「黄河大合唱」を書き下ろした。1939年3月31日に完成し、同年4月13日に初演を果たした。このような短期間で創作した作品は、後に中国の代表的な音楽になることは、だれも予測できなかっただろう。

『黄河大合唱』はなぜ「黄河ピアノ協奏曲」に

初演を終えた『黄河大合唱』は予想せぬ反響を巻き起こし、あっという間に全国各地へ広まっていった。しかし、このような中国の文化や歴史、不屈の精神を讃える曲が1966年に勃発した文化大革命とともに演奏が禁止された。なぜなら、歌詞の中に「国民党を美化すると思わせる言葉が一箇所ある」だった。(文化大革命時期の中国音楽についてこちらの記事をご覧ください。文化大革命後黄河大合唱の演奏が解禁された。)

この曲をもう一度演奏したい一心で、当時の演奏家や音楽家たちが動き出した。模索の結果、歌詞を使わず曲の内容を忠実に理解した上で、音楽の部分のみ演奏することが許可された。

ピアニストの殷承宗をリーダーとして、指揮者、演奏家や作曲家により「黄河」の編曲チームが結成した。編曲としてはとても珍しいケースだが、ピアノのテクニックとオーケストラを熟知するメンバーを備え合わせた編曲チームだからこそ、「黄河ピアノ協奏曲」を成し遂げた最大な要因であろう。

1969年2月、最初の編曲チームが設立。第一稿はソナタ形式で書き始めました。同年の初夏に第一稿が書き上げ、黄河大合唱の指揮者、中央音楽交響楽団の各楽器や声部の担当や著名な作曲家を集め、試演会を行いました。ソナタ形式の作曲法は、西洋音楽の型にはまって、真似としか思えないと不評だった。改善するために、「黄河」の舞台となる光景を自分の目で確かめ、しっかり作品と向き合わないといけないとメンバーたちが考えた。

1969年8月、編曲チームとスタッフ合わせて9人、原作冼星海氏と光未然氏が実際に見た地域に向かった。12月までの4ヶ月間、生活体験を兼ねた視察を行い、曲の構成を繰り返しディスカッションし、昼夜問わず全員が納得行くまで話し合った。最終的に、ピアノ協奏曲で四楽章の編成で編曲することに合意した。

より正統なピアノ協奏曲に近づくために、チャイコフスキー、ラヴェル、ラフマニノフ、リストの作品を細かく分析し、効果的な作曲法を「黄河」に取り組んだ。後に、西洋音楽を真似しすぎるとの批判もあったが、リーダーの殷氏は「西洋音楽が中国に入ってきて100年もないので、西洋音楽の作曲で編曲する以上仕方のないことだ」ということでチームの意見が一致し、作業を進めていた。「黄河ピアノ協奏曲」は、まさに中国音楽と西洋音楽を融合する革新的な一歩がスタートとなった。

翌年1970年の2月4日(春節の1月1日)一年に及ぶ編曲を終え、初演を迎えた。演奏を聴いた周恩来は思わず「冼星海が蘇った!」と感激した。同年4月、広州で開かれる国際貿易イベントで集まる外国の観客の前で披露し、中国オリジナルピアノ協奏曲が初めて国際のステージへ登場する瞬間であった。

初演の映像

世界にクラシック音楽業界において議論の多い一曲だが、「黄河ピアノ協奏曲」は激動する20世紀30年代〜80年代において、中国の時代、歴史、文化を反映する一曲となった。また、原曲やピアノ協奏曲に編曲する過程、初演から国際的ステージに至るまで、中国における西洋音楽の受容、中国現代音楽の発展を語るような一曲ではないでしょうか。

文化大革命後黄河大合唱の演奏が解禁された。

2016年7月17日、一般社団法人ユースクラシック上海音楽庁の演奏会で実際に演奏した映像と合わせて各楽章の概要を紹介します。黄河ピアノ協奏曲は、典型的な四楽章構成で編曲され、全体の演奏時間は23分程、原曲の合唱の特徴を最大限に生かしている。